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運営者のプロフィール

たかねぎ

皆さん始めまして、サイト運営者のたかねぎです。今回私のプロフィールをこの場をお借りしてお話させて頂きます。少し長くなるかもしれませんがお付き合い頂けましたら幸いです。

幼少時代

私が初めて、アニメや漫画に触れたのは、当時、夕方のゴールデンタイムに放送されていた

ベイブレードといわれるコマのおもちゃをアニメ化したものです。

初めて、アニメに触れた時私は、衝撃を受けました。当時の私は、これなら毎日でも見たいと思い、VHSに録画しようと苦労したのを今でも覚えています。

しかし、当時は、やり方を覚えたのはよいのですが、予約録画の存在を知らなかったため毎回放映日に噛り付いていたのは、今思えば、幼かったなと思います。

録画につかれたころ、私は初めて、釣りが好きだったことから父親から釣りキチ三平といわれる釣りマンガをコンビニで買ってもらいました。

当時は、その一冊がうれしくて何度も読み返したのを今でも覚えています。

それから、父親にいろいろなアニメや漫画を教えてもらい、ビデオのレンタル屋に通う毎日が始まりました。

中学・高校時代

中学になり、お小遣いをもらえるようになった私は、漫画の収集を始めました。

最初に買ったのは、もちろん釣りキチ三平です。当時2年間分のお小遣いを握りしめて、市内のブックオフの店舗を自転車で回りました。

何とか、全巻揃えることができた喜びは最高でした。

そこで私は、マンガは、読むのも集めるのも大変だと学びました。

私が次に買ったのは、手塚治の「三つ目がとおる」でした。

当時は、おもしろそうだなと思い買ったのですが、後から、釣りキチ三平の作者も手塚治のファンであると後から知った時は、何やらご縁のようなものを感じました。

しばらくは、収集やアニメの録画を楽しんでいましたが、人生の転換期、高校受験が来てしまいました。

受験は、大変でまんがやアニメ好きの私には、欲望に耐えきれず直ぐ漫画に手を伸ばす始末です。

これではいけないと思い、大好きなエンタメと一度離れるため、当時1000冊以上集めていた漫画コレクションをすべて売却しました。そのお金で、PCを買っているので本末転倒かもしれません。

ただ当時、PCを自分の小遣いで買っていなかったら。今思い出すと高校でも大学でももちろん社会人のいまでも困っていただろうと思っています。

そんなこともあり高校時代からは、ネット経由で漫画とアニメを楽しんできました。

大学時代

大学時代は最高でした、単位さえとれば文句を言われないという結果主義が漫画とアニメとの付き合いを再燃させました。

当時もやはり紙媒体にあこがれを捨てきれずにいたためアルバイト代を使いながら、ネット・漫画喫茶やゲオの漫画レンタル屋を楽しみました。

順風満帆のように聞こえるかもしれませんが、今でも卒論は、試練だったと思います。

そんななか、救われたのは、漫画という娯楽があったからです。

社会人時代

実家を継ぐ必要があった私は、家業の宿屋を継ぐことになりました。

そんななか2020年にコロナに見舞われます。

本当につらい期間です。

今も現在も影響は残り、月の収入が0になることもよく起きました。

コロナ当時結婚していた私は、これではいけないと一度就職を決断しました。

ただ、稼がなければいけないという重圧から私は精神的に不安定になり入院することになりました。

会社も3か月と短い期間でやめることになってしまいました。

そんな中、まだ小さい息子もいた私ですが、妻は息子を連れて出ていき離婚することになりました。

当時は、目の前が真っ暗になり何をするにもやる気が起きず、死にたいとさえ思っていました。

そんな中、父親がある一冊の漫画をくれました。本宮ひろ志の「まだ生きている」です。

この作品の主人公は、私とは違い、定年間際まで働き退職金ももらう立派な父親でしたが、退職したら妻と息子・娘に全財産を横領され、捨てられます。

しかしこの主人公は、ここでもあきらめず、野山で自活を選ぶというタフさが心に響きました。

私はここまでは酷くないなと励まされたと同時に、ここまでしてもこんな結果になる場合があるのかと、ある意味勇気づけられまだ頑張らないと思いました。

皆さん思い出のメディアがあると思います。

私の場合は、漫画やアニメでした。人生の底から救ってくれることもある漫画やアニメを世代を超えて多くの人に知ってもらうお手伝いがしたいと思いブログ運営を開始しました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

これからも、おすすめの名作から最新作まで随時発信できたらと思います。

今後とも末永くよろしくお願いいたします。